生き恥

日記

2022年3月13日、昼寝から起床

これは持論だが、好きと嫌いという二種類の感情においては圧倒的に後者の方がパワーがある。

なぜなら、スーパーやコンビニでお弁当なんかを物色している際に好物である火の通った海老が入っているか否かについてはあまり重きを置かないが、長年の宿敵であるきゅうりに関しては一寸たりとも入っていやしないだろうかとこれでもかというくらい吟味する。

つまりその、なんていうか、あれよ。

日常の中でふとした瞬間に好きな人やものと関連付けて考えてしまってた♡ことより、意図せずとも嫌いな対象が常に頭の片隅にあることの方が多いのが許せねえんだわァってこと。

だから、私は嫌いな人はいないし、きゅうりのことだってなるべくなら苦手と形容していきたい所存。

押忍。

やりたいこと。

やりたいことリスト


TOKIOのジャケ写?(海に机を置いて、そこでメンバーが横並びになってスパゲッティを食べてるやつ)と同じ構図で友達と写真を撮る。

・ビアガーデンに行く。

・たくさんの人数でお花見をする。

・友達を5人集めて、超新塾のネタをやる。

・軽トラの荷台に乗る。

・友達の子供の授業参観に行く。

バンジージャンプ

・川で丸い石を探す。

・流し素麺。

・わんこそば。

・友達の結婚式で、てんとう虫のサンバを歌い踊る。

・サービスエリア巡り。

・善寳寺に人面魚を見に行く。

・古い旅館で浴衣で卓球をする。

・枕投げ。

・修学旅行。

・地獄温泉巡り。

七里ヶ浜高校の最寄りのセブンイレブンでバイトする。

・陶芸。

・チャリに跨って、「乗りな!」って言いながらヘルメット投げ渡したい。


他にもたくさんあったはずなんだけど、今はこれ以上出てこないな…。

思い出し次第、思いつき次第、随時更新するぞ。

作り話。

コップに注いだ麦茶は気づけば生ぬるくなっていて、飲めたもんじゃない。僕は人生であと何回飲み干せなかったそれを台所のシンクに無感情で捨てるんだろうか。

外の世界ではとある伝染病が流行っているけれど、どこか他人事な気がして、芸能人のゴシップを流し観るくらいの軽さで今日の感染発覚者数を眺めることしかできない。

伸びきった爪先で弾くようにフリック入力をする日々。熱を持ったスマートフォンは人肌のぬくもり以上に安心を与えてくれる。でも所詮は画面上のやりとりに過ぎなくて、得体の知れない焦燥感に駆られる。

幸せの絶頂と、孤独からくる絶望はとてもよく似ている。ように感じる。どちらもその真っ只中で、実はもう全てが廃れてしまっていて、真っ暗なクモの巣だらけの空き家でブツブツと独り言を言いながら虚空を見つめている小汚ない老人が本来の僕なのかもしれない。

こんな空想に耽ってはせり上がってくる胃液だけが常に真実だ。

そういえば、むかし「君は誰のことも信用していないし、好きじゃないから生きていけるんだろうね。人を馬鹿にするのも大概にしろよ。」と言われたことがある。目を真っ赤に充血させ、はっきりとした憎悪を全身全霊で僕へ向けて。それが一体誰だったのか、今となっては全く思い出すことが出来ないのだが、きっとあの人は僕のそういう所が嫌いで仕方なかったんだろうな。






じゃあね。